「練馬の産業II」p.39 練馬区教育委員会より 明治の初めに戸長・初代村長であった金兵衛門が村年寄の父金兵衛と共に、幕末期からにごり酒を造り始めた。さらに明治10年代に清酒・醤油を本格的に醸造し、盛んな時には合わせて500石(900キロリットル)あまりを生産したらしい。のち、酒は廃業し、野田から専門の「造り親方」を常雇にした。これは、若くして村長・東京府会議員・町長を経た金兵衛氏が多忙のためと考えられる。20間(36メートル)近くの倉庫は昭和12年に取り壊した。廃業は昭和10年頃。銘柄「寿」は宮内省献上品だった。
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