皆さん、はじめまして。北町で、とんかつ店を営んでいる、まるとし店主です。
商店街では、各方面で地域活性化に尽力していますが、北町旧跡研究会結成以来、会議が行われる時間帯は、特に店が忙しく時間と重なり、参加できずにおりました。
先日、スタッフの方から、ぜひブログに書き込みをとお声掛けいただいたので、会議に参加できない分、こちらで、北町に関することを、これからいろいろ紹介させていただこうと思いました。
皆様、どうぞよろしくお願いします。
まず最初に、紹介したいのは、2年前に行われた、大名行列について。
北町は、皆さんご存じのように、練馬で唯一、川越から江戸に繋がる、「下練馬宿」という宿場町でした。
川越街道は、中世期より太田道灌が川越、江戸城を築城したことにより川越城から江戸城に向う江戸道が次第に整備されていったそうです。
徳川家康が江戸に幕府を開いた事により、五街道、中仙道の宿場制度が整えられ、江戸と川越を結ぶ川越街道も中山道の脇住環として整備が進められました。
2年前は、幕府が伝馬朱印を交付(1602年)から407年目に当り、今回の行列の主催・川越藩火縄銃鉄砲隊保存会が、川越市市制施行90周年(2012年)に向けた行事として、大名行列を行なうこととなり、実施されました。
川越市が市制施行80周年の年(2002)に記念事業として川越を使い、中央区日本橋より川越まで47kmを平成14年7月に2日間に渡り各区長始め各市長、各町長から親書をいただきながら上使行列を行って以来のことです。
またも翌年、千代田区より招かれ、千代田区日比谷公園まで登城行列を行ったそうです。
そして2年前、板橋区長より川越街道を使い何かをとの要請を頂き、川越から板橋区役所まで31kmを大名行列(松平大和守家)で4月26日(日)に行うことになりました。
今回の大名行列は、板橋区の下赤塚、練馬区の北町の旧川越街道を通過し、各区、各市各町の協力をいただきながら、川越街道に関わる、歴史、文化、教育観光を考え、川越街道サミット、交流につながる事だと思い、実施されました。
北町には、大名行列(松平大和守家の行列)が4月26日(日)午後3時に通過し、浅間神社にて、練馬区と親書の取り交わしを行われました。
地元でも、裃袴の衣装を着て、浅間神社で迎えしました。昔から北町は、「下練馬宿」という川越街道の宿場町であり、その古の状況を垣間見ることが出来ました。
なお、大名行列のルートと行列の内容は、以下。
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浅間神社では、練馬区と親書を取り交わした後、行列の皆さんがお茶を飲むなど休憩され、練馬区役所に足早に向かっていきました。
大名行列は、殿1名、道中奉行1名、士8名、足軽10名、中間10名の総勢30名。
川越から区役所までの30kmを、天気に恵まれ、北町が、その昔川越街道の宿場町であったことを、今回の大名行列で見事に再現されていました。
この日、石神井公園では、恒例の照姫まつりも行われていましたが、北町も負けずに、沿道での地域の皆さんの声援もあり、郷土文化への親しみを深めました。
なお、浅間神社での大名行列の模様を紹介します。
以上です。
とても貴重な、有意義な内容でしたので、2年前のことですが、まず最初に、皆様に紹介したいと思いました。