(宮本 昌孝/祥伝社文庫)
「 風 魔 」 下巻
六(章)
月下の大地を、忍び装束の一団が、飛ぶように走っている。
頭巾から漏れる息が白い。新春を迎えたとはいえ、陽が落ちれば、まだ肌寒かった。
このあたりは、武蔵野のうち、土地の名を練馬と言う。
めずらしい地名というべきで、由来は諸説ある。
律令制下の駅名の乗沼(のりぬま)が、訛って“ねりま”となった。赤土を練る練場であった。石神井川下流の奥の沼、すなわち根沼、など。最もそれらしいのは篠某という牢人が、盗んだ馬を、ここで調練して馬市へ出した、というもの。いずれにせよ、五代将軍綱吉以降には大根栽培で天下に知られる土地となる。
江戸初期のころは、水利の悪い畑地ばかりのひろがるところで、野良仕事の農民の姿が失せる日暮れ以後、人けはまったく絶えた。・・・