北町1丁目

北町1丁目

珍しいマンホールの蓋

東京府のマンホール蓋 練馬北町陸橋の交差点 北町に珍しいマンホールの蓋があるというので行ってきました。練馬北町陸橋の交差点で東京府のマンホールの蓋を見つけました。これは東京都が誕生した昭和18年(1943)以前に設置され、70年以上経過して...
北町1丁目

神輿新調収支金銭控

内田屋呉服店さんから、北町一丁目の神輿新調収支金銭控(昭和9年11月)、會計簿(昭和9年4月)、支出金仕譯記載(昭和10年4月)、銃後々援會名簿(昭和13年)、町會費徴収名簿(昭和14年)が見つかりました。 秋祭りの直会の席でお披露目され、...
北町1丁目

庚申塔 (板橋との区境)

北町1丁目の大松食堂の隣、上板橋寄りに庚申塔がある。 (S)
北町1丁目

啓志線・ケーシー線

昭和18年、上板橋から、現・自衛隊練馬駐屯地までの鉄道があった。終戦後、グラントハイツ(現・光が丘)まで延長され、グラントハイツ建設の責任者のケーシー中尉から、ケーシー線と名付けられた。上板橋駅から上板橋サンライトマンション、北町1丁目の野...
北町1丁目

けらや

北町1-44 のマンションと大久保ビルのあたりに、「けらや」 があった。大木正治郎さんの調査によると、「けらやとは、けらを集めたところであろう。けらは鷹を飼育する生き餌に用いられ、年貢の一つとして農民に課せられた。」とある。  (S)
北町1丁目

稲荷神社

北町1丁目の町会事務所の隣に、稲荷神社がある。元は、家稲荷だったのではないか、ということだった。久富不動産の奥やユータカラヤの横道を入った左手にも鳥居を見かけた。(お宝パネルより)  (S)
北町1丁目

鍛冶屋さん

1丁目のはずれの白石さんの家は、明治になって浦和から分家してきて鍛冶屋をやっていた。鍬、鎌、万能等の農機具を作っており、練馬や板橋の農家に売っていた。白石さんの話によると、夜明け前から農家の人が馬車や牛車に練馬大根などの野菜を積んでガラガラ...
北町1丁目

下練馬村

旧川越街道と大山街道との分岐点に大山道の道標がある。「従是大山道」とあり、上に不動明王座像がのっている。左側には、「左東高野山道」という道標も立っている。環状8号線が出来る前は、もう少し田端屋よりにあった。 (S)
その他のお宝話

商店街の混雑は はんぱじゃなかった

昭和の商店街は、安いと評判で、近隣からも自転車で買い物にくる人で、混雑していて毎日が縁日のようだった。特に年の暮れは、一日中人が出ていて、知らないで入ってきた車は、白い目で見られ、通り抜けるのは大変だった。自転車も近くの路地に止めてこないと...
北町1丁目

お馬や

今の大黒屋 (たいやきや)さんの 島野さんの裏のところは、「おんまや」と呼ばれ、馬の預かり所だった。 (お宝パネルより)   (S)