北町2丁目 捨て場と2丁目の馬頭観音 北町工業会の手前の路地をはいったあたりは、「捨て場」と呼ばれ、死んだ馬や牛を捨てていた。そこに、馬頭観音がある。かなり風化していて、地元の人に「馬頭観音」と言われない限り気がつかなかった。馬や牛を大切にしていたことから、建てられたものだろう... 北町2丁目地図があるお宝江戸時代
北町1丁目 本陣 木下家 江戸時代、宿場の本陣を、木下家がつとめていたが、何らかの事情で没落し、上宿の大木家が引き継ぎ本陣をつとめた。木下家のあった場所は、今のユータカラヤから朝日不動産のあたりまでと思われる。 (大木正治郎さんの地図より) (S) 北町1丁目地図があるお宝江戸時代
その他のお宝話 1丁目の馬頭観音 三叉路のど真ん中に祀られた馬頭観音。この辺りが下練馬宿の入口だった。現在の練馬区と板橋区のちょうど区境でもある。 いっとき、車に屋根を壊されるなど被害もあったが、今でも近隣の住民に大切にされており、赤い旗がはためいている。 その他のお宝話北町1丁目地図があるお宝江戸時代
その他のお宝話 北町小学校 北町小学校は、自衛隊の宿舎に隣接しているため、他の学校とはちょっと違った特徴がいくつかある。 ・自衛隊による生演奏が聴ける ・仕事の関係で転勤する生徒が多く、1年に100~200人の生徒が入れ替わった ・昔は、陸軍倉庫があって、石炭の山があ... その他のお宝話北町1丁目地図があるお宝戦後~平成
地図があるお宝 馬喰谷戸(ばくろがいと) 川越街道沿いを走る馬の交換所。近くにはうなぎ屋があった。 ※馬喰ヶ谷戸(ばくろうがやと、ばくろうがいと) 旧・下練馬村の小名。村西北部のはずれ、川越街道旧道の北側。馬 喰は、おそらく川越街道の馬運にあたった馬匹の集落であったとこ ろから。田... 地図があるお宝屋号・商店街江戸時代
北町2丁目 浅間神社の神輿 聞きとり日:22年12月22日(水) 場所:大木家 インタビューした人:川島岩雄さん 浅間神社の神輿は、昭和10年頃作った。その時代で、600から680位だった。現在だと、1千万以上なのでは?昭和10年頃は、5厘(りん)の時代であった。 町... 北町2丁目明治~戦前行事・お祭り