江戸時代

北町2丁目

北町観音堂の馬頭観音が専門誌に載ったドー!

思わぬところから問い合わせがあり、結果として『石仏・石の神を旅する』『古寺巡礼18』に掲載され、本屋さんで1600円で販売されています。 素晴らしいことですね!
北町2丁目

仁王石像

聖観音座像の手前、右が阿形像、左吽形像。天和3年(1683)に建てられた。(S)
北町2丁目

北町聖観音座像

北町聖観音座像(石観音)は、天和2年(1682)の石造りで、高さ270センチメートルあり、練馬区内一番の大きな石仏です。台座には、川越街道沿いの29の地名が刻まれています。左手にある祠は、馬頭観音で、身をかがめるようにしてみるとよくわかりま...
江戸時代

下練馬村

下練馬村は、上板橋から、川越に向かって 「下宿」・「中宿」・「上宿」 と分かれていた。(お宝パネルより)  (S)
北町2丁目

捨て場と2丁目の馬頭観音

北町工業会の手前の路地をはいったあたりは、「捨て場」と呼ばれ、死んだ馬や牛を捨てていた。そこに、馬頭観音がある。かなり風化していて、地元の人に「馬頭観音」と言われない限り気がつかなかった。馬や牛を大切にしていたことから、建てられたものだろう...
北町1丁目

お馬や

今の大黒屋 (たいやきや)さんの 島野さんの裏のところは、「おんまや」と呼ばれ、馬の預かり所だった。 (お宝パネルより)   (S)
北町1丁目

本陣 木下家

江戸時代、宿場の本陣を、木下家がつとめていたが、何らかの事情で没落し、上宿の大木家が引き継ぎ本陣をつとめた。木下家のあった場所は、今のユータカラヤから朝日不動産のあたりまでと思われる。  (大木正治郎さんの地図より) (S)
その他のお宝話

1丁目の馬頭観音

三叉路のど真ん中に祀られた馬頭観音。この辺りが下練馬宿の入口だった。現在の練馬区と板橋区のちょうど区境でもある。 いっとき、車に屋根を壊されるなど被害もあったが、今でも近隣の住民に大切にされており、赤い旗がはためいている。
その他のお宝話

綱吉御殿跡

北町小学校の入口付近に、石碑が建っている。本当はもっと南にあったと言われている。
地図があるお宝

馬喰谷戸(ばくろがいと)

川越街道沿いを走る馬の交換所。近くにはうなぎ屋があった。 ※馬喰ヶ谷戸(ばくろうがやと、ばくろうがいと) 旧・下練馬村の小名。村西北部のはずれ、川越街道旧道の北側。馬 喰は、おそらく川越街道の馬運にあたった馬匹の集落であったとこ ろから。田...