時代

その他のお宝話

牛車

聞きとり日:22年12月22日 場所:大木家 インタビューした人:川島岩雄さん 北町周辺には、田んぼはなく畑がたくさんあった。畑では自分達が食べるお米"陸稲(おかぼ)"や、大根、きゃべつ、にんじん、牛蒡、小松菜を作っていた。 朝早くに牛車で...
明治~戦前

田柄川用水

北町は、高台だったため新河岸川や荒川から水が引けなかった。そこで玉川上水から分水した千川上水を練馬に引き、さらに分水し田柄川用水を引いた。国の費用だけでは足りず、私費を投じて成し遂げた功績により、姓と帯刀を許された千川家の墓が、阿弥陀堂墓地...
北町1丁目

おでんの屋台・うどんの屋台

昭和30年代から40年代にかけて、春日さんが、おでんの屋台を出していた。子どもが買いに行くと、ブリキの弁当のフタに竹串を付けて出してくれた。おいしかった。(50代男性) 環八の立ち退きで引っ越してしまった。 うどんの屋台は、今も内田呉服店の...
北町1丁目

映画館 練馬文化

ユータカラヤのところを入ったところに、練馬文化という映画館があった。「子どものころ怪獣映画を見に行った。近くてよかったのに。」(50代男性) 昭和40年頃まであったが、閉館する頃は、成人映画が多くかかっていたようだ。 (S)
北町1丁目

街頭テレビ

昭和30年代、今のユータカラヤのところに街頭テレビがあり、たくさんの人が見に集まっていた。日本テレビが設置したという話もある。 「その通りのお菓子やの しんちゃんが鍵を持っていてチャンネルを決めていたのは、子ども心にすっごくうらやましかった...
明治~戦前

防空壕

戦時中、北町にも焼夷弾が落とされました。浅間神社の所に防空壕がありました。今は埋められていますが、写真が、2丁目町会会館に残されています。 北町1丁目の内田呉服店の前も昭和30年ごろは、藪で、その中に防空壕があって、探検をしたという話を50...
戦後~平成

郵便局

明治のはじめ、下練馬村に、郵便局ができました。当時は練馬区ではありませんでしたが、練馬区第一号の郵便局です。(S)
その他のお宝話

庚申塔

環八ぞいの東京ガスの少し先のお好み焼きやの前に庚申塔がある。庚申とは、江戸時代の 17世紀後半ぐらいから盛んになってきた宗教の1種で、人の体にはさんしの虫がいて、庚申の日に天から神の使いがおりてきて、さんしの虫が体から出てきて人々の行いを報...
北町3丁目

北町3丁目町会新年会

恒例になっている祝舞「秋田大黒天」が始まったのは、昭和60年。新しい年明けにふさわしく、座を一段と楽しくにぎやかに福を運んで来るようにとの願いを込めて、今に至っております。 昭和45年ごろより、「オカメ・ヒョットコ」などのバカ面踊りを祭礼に...
北町1丁目

ちがや馬

北町1丁目にある弁天宮の七夕行事として、ちがや馬を作り、農作物の豊作や無病息災を星に祈願する風習が今も続いている。 七夕星祭りは、毎年8月6日・7日に行われ、雌雄一対の馬を作って飾っている(練馬区の無形民俗文化財)。 北町中学校では、200...