時代

北町2丁目

北町観音堂の馬頭観音が専門誌に載ったドー!

思わぬところから問い合わせがあり、結果として『石仏・石の神を旅する』『古寺巡礼18』に掲載され、本屋さんで1600円で販売されています。 素晴らしいことですね!
明治~戦前

100年前のはがき発見!

漆原好夫さんのお宅からハガキが出てきました。 明治37年・43年 大正10年などの字が読めます 保存の状態も良く、いいものを見せていただきました。 皆さんはこのはがきを見て、何を感じますか?                 えつえ
北町3丁目

北町に私立の小学校がありました! 新発見!

明治の初期にできた学校だそうだ。 東京府私立相原小学校 宿場があったこと、人が多くいたこと、お金持ちがそろっていたのかも? でも凄い!              えつえ
北町2丁目

仁王石像

聖観音座像の手前、右が阿形像、左吽形像。天和3年(1683)に建てられた。(S)
北町2丁目

北町聖観音座像

北町聖観音座像(石観音)は、天和2年(1682)の石造りで、高さ270センチメートルあり、練馬区内一番の大きな石仏です。台座には、川越街道沿いの29の地名が刻まれています。左手にある祠は、馬頭観音で、身をかがめるようにしてみるとよくわかりま...
北町2丁目

焼夷弾

第二次世界大戦中、北町にも、焼夷弾が落とされました。北町病院や、元北町中PTA会長の大木利昭さんのご自宅にも落とされ全焼。大木さんは阿弥陀堂近くの防空壕にいて、ご無事だったそうです。(石坂先生のお話を聞く会より) (S)
屋号・商店街

大木金兵衛家の清酒・醤油づくり

「練馬の産業II」p.39 練馬区教育委員会より 明治の初めに戸長・初代村長であった金兵衛門が村年寄の父金兵衛と共に、幕末期からにごり酒を造り始めた。さらに明治10年代に清酒・醤油を本格的に醸造し、盛んな時には合わせて500石(900キロリ...
北町1丁目

啓志線・ケーシー線

昭和18年、上板橋から、現・自衛隊練馬駐屯地までの鉄道があった。終戦後、グラントハイツ(現・光が丘)まで延長され、グラントハイツ建設の責任者のケーシー中尉から、ケーシー線と名付けられた。上板橋駅から上板橋サンライトマンション、北町1丁目の野...
北町1丁目

鍛冶屋さん

1丁目のはずれの白石さんの家は、明治になって浦和から分家してきて鍛冶屋をやっていた。鍬、鎌、万能等の農機具を作っており、練馬や板橋の農家に売っていた。白石さんの話によると、夜明け前から農家の人が馬車や牛車に練馬大根などの野菜を積んでガラガラ...
江戸時代

下練馬村

下練馬村は、上板橋から、川越に向かって 「下宿」・「中宿」・「上宿」 と分かれていた。(お宝パネルより)  (S)